関生ヒューマンスポット 49
●奈良ブロック●
私は、1991年9月にH生コン社(京都)で公然化しました。
当時、会社は事業を拡大(砂利屋)しようとしていて、ミキサー乗務員がそれに伴う作業をさせられるのではないかと不安に思っていました。そんなとき、同僚が連帯労組の組合員から声をかけられ、8名で公然化することになりました。
その後、会社が偽装閉鎖をしたため、24時間闘争に突入。争議中、仲間の支援のあたたかさに触れ、そして組織力の強さを感じました。
裁判を経て和解が成立し、生コン工場は更地になりました。
1997年、人員補充でO社に就職。
2002年4月、奈良では集約事業化が進み、まずA生コン社とB生コン社が集約してC生コン社となり、2008年7月にはC生コン社とD社が集約しE生コン社になりました。
数年後、I社が倒産し、占拠闘争になった時には労働条件を守るため組合がプラントを自主再建。「生コン協同」という名称に変わり、その専属輸送会社であるT輸社の日々雇用として就労することになりました。そして、ついに2017年8月21日正社員として雇用されることになりました。
組合に加入して、すぐに争議や裁判を経験しましたが、支部役員はじめ組合員の皆さんに支えられてここまできました。また、過去に数々の権力弾圧や反社会的勢力による暴力事件がありましたが、そのたびに組合員は鍛えられ、連帯労組は組織拡大をしています。
日本一の労働組合だということをこれからも広めていきたいと思います。
【 くさり11月号より 】